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ダルコミリチッチの過去と現在を知る~神に嫌われし男~

      2016/06/18

ダルコの運命を決めた、ドラフトでの2位指名

ダルコミリチッチ ドラフト

ダルコミリチッチは、16歳の時にセルビアのHemofarmというチームでプロキャリアをスタート。その時点で大型の万能プレイヤーとして注目を浴びていたダルコは、2年目のシーズンで平均9.5点4.6リバウンド1.6ブロックと大器の片鱗を見せつけた。

 

ちょうどその頃、1998年のNBAドラフトで1巡目9位で指名された同じくヨーロピアンのダークノビツキーがMVP級の活躍を見せていたという影響で、NBAのスカウトはこぞってヨーロッパのプロリーグに潜むネクストノビツキーを発掘しようと躍起になっていたのだ。

 

そこで白羽の矢が立ったのが、ダルコミリチッチだった。ノビツキーとはタイプが異なるものの、7フッターでありながらもハンドリングに優れ、機敏に動くことのできるダルコに各チームのスカウト陣は夢を見た。
 
 




 
 

ドラフト当日、2位指名権を持つピストンズの選択とは

デトロイトピストンズ 2003 バッドボーイズ

 

この時、ピストンズは現代版バッドボーイズとして絶頂期にあった。ドラフトの前のシーズンにはイースタンカンファレンスファイナルまで進出していたのだ。にもかかわらず、過去のトレードで得たグリズリーズの2位指名権を持っていた。

 

この年のドラフトは、レブロンジェイムズカーメロアンソニーという、二人の怪物ルーキーがエントリーしていた。レブロンジェイムズはMJの再来との呼び声も高く全米No.1の高校生であったし、カーメロは1年生にして所属のシラキュース大学を全米チャンピオンに導いた。ドラフトにエントリーした選手の中で、この二人はずば抜けて優れていた。

 

幸か不幸か、2位指名権を持っているピストンズはディフェンシブなチームとしてケミストリーを高め、現状のロスターでNBAチャンピオンを狙えるという状況にあった。その為ドラフト時点で、ピストンズにはレブロンやカーメロのような即戦力は必要無かった。逆に言うと、数年間はルーキーの成長を見守るだけの余裕があったのだ。そこで2位指名権を獲得したピストンズが下した決断は、即戦力だがチームの和を乱しかねないカーメロでは無く、数年間は戦力にならなくても将来的な伸びしろがより大きいダルコミリチッチを指名するという決断だった。

 

 

ピストンズでのNBAキャリアがスタート

ダルコミリチッチ ピストンズ

そんなこんなで優勝候補チームの一員としてNBAキャリアをスタートさせたミリチッチは、ルーキーにしてチャンピオンリングを手にすることとなる。ダルコ自身の優勝への貢献度は限りなくゼロに等しいわけだが、結果的にピストンズは万々歳であった。もしもカーメロやウェイド、ボッシュを選択していたら違った結果になったかもしれないのだから。

 

元々ルーキーイヤーから活躍するとは思っていなかったピストンズであったが、2年3年と経過してもダルコのプレーは一向に良くならなかった。良くなる気配すら見せなかったのだ。そこでピストンズは、ダルコがまだ若く商品価値があるうちにトレードで放出してしまおうと決断した。この時のトレード相手はオーランドマジック。ダルコ+カルロスアロヨ⇔ケルビンケイト+将来の1巡目指名権でのトレードとなった。

 

 

トレード後。ショットブロッカーとしての覚醒

マジックに移籍をしたダルコは平均24分の出場で2.1ブロックを稼ぎ、突如ショットブロッカーとして覚醒。自分の居場所を見つけたかに見えた。しかし、シーズン後に迎えたFAでダルコがグリズリーズと結んだ3年21milでの契約にマジックがマッチすることはなかった(引き止めなかった)。

 

スターティグメンバーとしてシーズンの大半をパウガソルと共に出場する機会を得たが、活かすことが出来ず。2年目も開幕戦こそスタメンで出場していたが、余りのひどいプレーっぷりにすぐさまベンチ要員に。代わりにスタメンに抜擢されたのはマルクガソルであった。

 

その後もニックス、ウルブズ、セルティックスと渡り歩くが、ドラフト2位にふさわしい活躍は一切見せることが出来ない。ウルブズでは初めて全試合(といっても怪我での欠場はある)でスタメン出場し、8.8点5.5リバウンド2.0ブロックを記録。しかしながら24分の出場で5.2リバウンドは寂しい数字であるし、フィールドゴール47%、フリースロー56%では使い物にはならなかった。

 

 

NBAキャリアの終焉と、キックボクシング。

2013年にNBA引退を正式に発表したダルコミリチッチは、翌年の9月にキックボクサーに転身する。実際にリングに立ったこともある。

 

その後はキックボクシングから手を引き、地元セルビアのバスケットボールチームに加入したという報道もあったが、結局実現せずに今に至る。

 

 

ダルコを苦しめたNBAの環境と怪我

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散々なキャリアを送ってきたダルコミリチッチであるが、確かにそのポテンシャルは相当なものであった。ポテンシャルはポテンシャルでしかないが、そのポテンシャルを活かすことが出来るかどうかは、本人とチーム次第である。

 

本人としては英語を勉強しコミュニケーションを取ることをしないといけないし、NBAの厳しいスケジュールに順応するためにもボディケアを欠かさないことが大事だ。メディアの対応の仕方や練習に対する熱意も大事になってくると言われる。

一方でチームとしても、ヨーロピアンプレイヤーを一流のNBA選手に仕立て上げるには十分なサポートをする必要がある。チームとして他国の人間を受け入れる体勢が必要であるし、コーチ陣は選手の才能を引き出してあげる手助けをしなければならない。

 

ダルコは英語も出来ず、練習い対する姿勢や態度も良くなかったと言われる。それに加えて怪我がちであったことも、彼のキャリアが失敗に終わった大きな原因と見られる。特に英語でコミュニケーションを取ることが出来るかどうかは大事だ。

 

 

ダルコの悲劇後、ヨーロピアンビッグマンの扱いの変化

ダークノビツキー ダルコミリチッチ

 

結果的にダルコは、NBAスカウトに最高の失敗例を提供した形になる。『ポテンシャル』がいかに危険かという点や、ヨーロピアンは特に語学姿勢などのNBA適正が大事であるという点などだ。

 

その後も、2006年ドラフトでバルニャーニが1位指名を受けたりもしているが、各チームは十分にリスクを考慮するようになった。

 

ダークノビツキーという最高の成功例の後に見たダルコミリチッチという最高の失敗例。この2人の存在が今もこれからもNBAに与える影響は計り知れない。

 

 

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